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◆「管理者のブログ」更新情報: 現在、投稿記事は合計143本あります。
11/14、「置戸ぽっぽ絵画館を訪ねて」を投稿しました。
10/21、「選挙に行こう! 棄権しないで !!」を投稿しました。
9/8、「私の『スマホ事情』近況」を投稿しました。
◆当ウェブサイトは2018年7月14日にオープンし、7年目に入りました。
2019年は西村俊郎生誕110年、2020年は没後20年でした。
これからも鋭意更新を続けて参ります。ぜひご期待ください。
エッセイ
Essays
西村俊郎は晩年、絵画制作における自分の考えを盛んに文章にまとめようとしていました。
ここにご紹介するエッセイのうち、『思いでのままに』と『私の絵画ノート』の2編は
1996年発行の「--画業60年-- 西村俊郎油絵作品集」に掲載されたものです。
あとの3編、『坂本繁二郎先生と漱石の画論』、『写実絵画における風景写生の在り方』、
および『写実における日本の風土の表現と油彩』はこれまで未公開だったものです。
さらに2編、『私の絵画ノート(2)』と『写実絵画のあり方に対する私考』を追加しました。
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エッセイ1: 思いでのままに思いでのままに 西 村 俊 郎 ■岡田紅陽氏との出会い 数年前の冬の朝、山梨県忍野村で富士を写生していたとき、後ろで声があり、「あなたの画には空気がある」と言う。振り向いてみると、それは頬被りをし、古ぼけたカメラを首から提げた老人であった。その人が富士の写真家として世界的に有名な岡田紅陽さんであった。写真家が画の中の空気の存在を即座に言い当てるとは面白い。また、河口湖で会ったプロの写真家も富士の撮影には何が難しいと言っても空気の表現が一番難しいと言っていた。凡て写真機を通さなくては表現できないと思われた写真家が、目に見えない空気と真剣に取り組んでいるのは、富士が空気によって美しく見えるからだ。彼らは永い習練の結果、自然の深さを知ったからだろう。 ■禅寺の和尚との問答 私が富士を描き出したころの古い話だが、葛飾北斎の赤富士の場所と思われる山梨県鳴沢でのこと。臨済宗の寺の境内の小高い丘の上から富士を描こうと登って行ったところ、住職らしい老師がいて、「あんたは何やな」と聞くので、富士を描くのだと答えると、「ああ駄目だ駄目だ。富士は生きて動いているから容易に描けるものではない」と言う。変な坊さんだと思った。その後富士を永年描いてみるとその度に和尚の言葉がなるほどと思えるようになった。富士そのものが動く道理はないが、今姿を見せたかと思うと一瞬にして雲に覆われ、次に見えたときは前と異なっていたり、また、形相が一変していることがしばしばである。七、八月頃が一番変化が少なくて安定しているが、頂上に雪が無いので面白くない。 ■或る競馬調教師の疑問 ある時競馬雑誌に権威ある(?)大展覧会での受賞作品「騎馬の人」(油絵)が載っていた。その画は新しい具象の画であって、馬の手綱は描かれていなかった。調教師曰く、「手綱がないのはおかしい」。小生、「新しい絵画は具象画でも説明的なものを嫌って描かないことがある。ピカソの青の時代の作品『青年と白馬』は裸の少年が白馬を牽いているものだが、手綱は描いていない」。調教師、「なるほど。新しい絵画ではそういうものか。この騎手の手では馬の進む方向が違ってくる。新しい絵画だから、これでもいいのかなあ」。ピカソのその画には手綱が描いてなくても馬の目、耳、鼻のふくらみを見れば手綱が暗示されている。説明的なものを嫌っても真実に偽りがあっては困る。 ■小林徳三郎さんの忠告 まだ小生若かった頃、房総の太海に写生に行った。旅館に着くや直ちに画箱を提げて描きに出掛けた。旅館に油絵を描く老人が泊まっていて毎日の夕刻の三十分余り画を描くが昼間は寝ていた。隠居の手慰みと思っていたが、後で、その人は春陽会の長老・小林徳三郎さんであることを知り、挨拶に出た。小林さんが言うには、「日中の風景は素材が面白くない。そんなときの画は描いても結局はいいものはできないよ。素材が美しいなと思うときに描かなくてはね。昼間じっと我慢して寝ているのも修行の一つだよ」と忠告してくれた。小生老人になった今日でも相変わらず旅館に着くや否や画箱をもって飛び出して行く現在である。 ■和田英作さんの写生の態度 ある時小生河口湖の大石で富士の写生をしていたところ、後ろで見ていた一人の老婦人が話しかけてきた。その人は若い頃、和田さんが『河口湖の富士』(なかなかいい画であるが)を描いたとき、毎日お供をしたという。「先生は同じ天候の日を選んで同じ時刻の一時間余りを描かれた。随分永くかかって仕上げられました」と言う。あの作品には自然の佇まいが見事に描かれているので、その話を聞いてなるほどと思った。画家には速写の人もいれば遅筆の人もあって、どちらがいいかは一概に決められないが、和田さんはゆっくりと時間の移り変わりを心に刻んで描かれたのだろう。 ■素人美人と酒場美人の話 私の友人に酒場で金を使うわりには女にもてない男がいて、いつも腹を立てていたが、ある晩彼の友人の細君で若い絶世の美人を拝借して、今日こそは酒場の女どもに目にもの見せてくれようと勇んで酒場へ出掛けた。ところが酒場の怪しい人工の光の下では素人美人はさっぱり栄えないで、目に墨を入れ、青色で隈取った酒場美人は皆生き生きとしているのですっかり当てが外れた。即ち彼は場所の選定を誤ったのである。絵画もまた斯くの如しで、外光の下で写生したいい画でも、公募展のような、目立つために大声で叫んでいるような画ばかり並んでいるところではそういう写生の画は栄えないものである。しかし、いい画であれば見る人は見ているだろうし、静かな個室のような所に掛けたら断然光彩を放ってくる。反対に、会場効果ばかり狙ったものはそういう所では化け物のように見える。 ■画家の目と猫の目 或る公募展の会場で当番で見回りをしていた会員の一人に田舎風の親父さんが、そこに掛けてあった一点の風景画(それはその会の中堅で、しかも人気のある画家の作品で、近景には水、中景には家並み、遠景には山が描かれている画であるが)を指してこう言った。「この画は見ていると益々私には平面に見えてくる。鑑賞者は人間で、知恵が働くから水が手前にあり、山は遠くにあると決めて見てくれるが、猫だったらそうは見てくれないだろう」。皮肉な親父さんだ。 ■馬と牡丹の話 小生生活の手段として永年競馬馬を描いており、馬のことなら大概は知っているつもりである。よく厩舎に、秋の展覧会に馬を扱った大作を出品したいから馬をスケッチさせてくれと、日本画や洋画の人達が来るが、大方は鉛筆とスケッチブックだけで二、三回くらい通って来て、秋にはそれが大作となって出てくるが、そういう画の中の馬は脚や頭は動いているのに、肝心の胴体が動いていない。脚が動いたら胴体の筋肉が動くのは当然である。二、三回のスケッチで微妙な筋肉や骨組の動きが分かる訳がない。芸術は事物の説明ではないと画家たちは言うが、説明的でなくても事実でなくてはならない。自分が知らない初めてのものは二、三年はゆっくりと研究してからやるべきである。ドガの馬は単純化したり、また目玉など描いていなくても体躯の動き等はさすがデッサンの大家である。嘘がない。 友人に山中という牡丹の花作りの名手がいて、彼の作った牡丹は梅原さんや、日本画の小林古径さんも好んで描かれたと聞いている。彼が言うには、主として日本画の場合だが、花の種類と葉の種類が違っている画を見かけることがあり、作者にその事を注意すると、またしても、「芸術は事物の説明ではない。絵画効果のためには違っても致し方ない」と言う。なるほどとは思うのだが、彼は牡丹の事となると、嘘があってはやりきれないらしく、「もし優雅な美人の首に毛むくじゃらな男性の胴体がついていたらどうにも薄気味の悪いものができるだろう。牡丹は苦情を言わぬからいいが」と、どうにも得心がわかぬようだった。 ■鹿島槍で会った日本画画家の事 数年前北アルプスの鹿島槍山麓で年配は小生よりも少々上だろう一人の登山装備したガッシリ体躯の人がいたが、その装備の中に画箱らしいものを見つけたので画家だと分かって声をかけた。その人は関西人で、小野竹喬さんの弟子であり、また、油絵の小林和作さんのアドバイスも受けているという。小林さんが彼に、「君は凡才だから小野先生のようにその辺の物でも画にしてしまう才能は持ち合わせていないから、先生のまねをしても駄目だ。他の画家たちが知らないような所を歩いて画家の感動するようなモチーフを見つけよ。足で稼ぎたまえ」と言われて二十年この方こうして日本中を歩き回って絵になる処を探しているのだと言う。俺と同じような人もいるものだと嬉しくなって話が弾み、時間を忘れてしまった。 ■富士の写生会に参加して ある年の二月、富士吉田の忍野村で富士を描く写生会が催されて数十人の洋画の各会の会員たちが参加した。小生も加わった。朝の赤富士を描く目的だったが、前夜はよく晴れて雲一つなかったので明朝を期待して皆張り切って寝た。冬の赤富士は朝七時頃だから小生は暗いうちに起き出て、ここぞと思う場所を探しあてて画架をたて、準備して待った。赤富士は見事だった。一心不乱に描いた。九時頃には出来上がり、さて付近を見回したが、いたのは富士を撮影する写真家ばかりで、プロの画家は一人もいなかった。宿舎へ帰ってみたところ、画家たちは宿の窓から写生しており、中には寝巻姿でやっている人さえいて驚いた。この宿は前方に屋根があるので富士の裾野は見えない。だから富士の頂上の方ばかり描いていた。写真家はアマチュアでも皆三脚を立てて雪の中に震えながら赤富士の出を待っているのに、プロの画家がこのような有り様では困るのだ。なるほど零下十四、五度の雪の中で三時間余りも立っているのは並大抵の事ではないが赤富士がこんなに見事に出てくれる機会は滅多に無いのだから、それに応えるくらいの根性は欲しいものだ。近頃の若い風景画家たちは戸外で写生するには色々な意味で障害があるからそういう苦労を嫌ってアトリエ内で写真等を用いて画を作るが、例え構成の面白みや描写の巧みさを狙ってあっても、そういう安易な精神では鑑賞者を心から魅了するものは絶対に出来ないだろう。近頃はプロの画描きが戸外で写生しているのが珍しがられるようではやがて写生による写実絵画も終焉となろう。 ■石井柏亭さんの慧眼 三十数年前に柏亭さんがこう言っている。「画描き人口が増え、展覧会は益々盛んになるだろうが絵画は益々悪くなるだろう」。当時の公募展の在り方の弊害を憂えての、画家たちへの警鐘であったが、今日の具象絵画はさらに工芸的になり、デザイン化してきている。柏亭さんが生きていて現在の絵画を見たらさぞかし嘆くだろう。 ■美術学校の絵画教育に思う 友人がフランスのニースで戸外写生をしていた時、隣でも初老の外国人画家がやはり同じ所を油絵に描いていた。始めはさほど気にも留めなかったが、日数が加わるにつれ、その画家の写実の巧みさには目を瞠るようになった。画風は印象派以前の寧ろ英国画派のコンスターブル風の落ち着いた堅牢なものであった。凡庸な画家では到底真似の出来るものではなかった。その画家は自分がベルギー国立美大の教授であることを明かした。その人曰く、「私はまだ日本に行ったことがないので明白には言えないが、聞くところによると国立の美術学校でさえ美術教育が個性、様式、イズム等の理論を教えて、実技の指導が軽んじられていると聞くが、それが事実なら誤っていると思う」。さよう。鉄は熱いうちに打てと言うが、若い、頭の柔らかい時にこそ写実力をみっちり叩き込むべきで、老人になったら下手にこそなれ、腕は上達するものでない。若い時には面白い画を描いて人気をとっても、しっかりした技法を身につけていなければ老人になって意欲をなくし後悔するものだ。 私が軽井沢で秋の浅間山を描いていた時、前方でも若い人が油絵の写生をしていた。その人の画は見たところ完成間近なのに一向に空気が表現されていないので、少々お節介とは思ったが「貴方の画はヴァルールが誤っていないか」と注意してみた。彼は「ヴァルール、即ち色価の意味は知っているが、実技としてのヴァルールは学ばない」と言う。彼は私立の美大油絵科の卒業間近い学生であった。小生にヴァルールの実技上のいろいろの質問をしてきたが一朝一夕に教えられるものではないので、その写生をしている間について注意すべき点を指摘した。ヴァルールはデッサンとともに写実絵画の骨格であるのに、卒業間近い学生が尚、基本であるヴァルールの技法を知らないとは何のための絵画指導かと、現代の美術教育の在り方に少なからず唖然とした。しかし考えてみると、指導する側の今の先生も学生時代はやはり戦後教育であり、真実のヴァルールの実技を教えられていないので自信をもって生徒にヴァルールの指導が出来ないのだと思う。画家は技術を学ぶために学校に入るのに、そちらがお留守になって高い月謝を払って卒業証書だけもらうのでは意味がない。
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エッセイ2: 私の絵画ノート私の絵画ノート 西 村 俊 郎 (1) 明治になって東京に工部美術学校が開校し、イタリアからフォンタネージらの画家を招聘、後に明治洋画の巨匠と言われた人たちが生徒として学んだ。 今から十数年前、フォンタネージの作品の展覧会が東京で開かれ、イタリアの或る美術館長が作品と一緒に来日した。作品の数は百数十点と言う多いものだった。陳列の最後の方に、当時の生徒だった明治の巨匠たちの作品も陳列された。数日後の新聞に、その美術館長の談話が載った。その最後の方で、その美術館長は、「日本の生徒たち(明治の巨匠たち)が、先生であるフォンタネージの一番大切な技法を理解できなかったのは残念だ」と言っており、それはまさに私の感じたことと同じだった。 その技法とはヴァルール(valeur, 色価)のことであり、写実絵画の技法中一番難解な技法である。私の見る限りでは、これは現在も日本の洋画(写実絵画)にはないと私には思われる。しかし、このヴァルールなる技法をマスターしなくては、太陽光線も、画面の中に空気の存在する遠近法も不可能である。 印象派の先駆者ピサロがコローに、絵で一番大切な技法は何かと尋ねたとき、コローはヴァルールを次のように説明した。「例えば、自分が多くの客を招待したとき、皆さんに、よかったなあと喜ばれるのは飲物でも料理でもなく、ホストの心のこもった接待である。ヴァルールとはその接待のようなものである」と。私はヴァルールを「鵜飼」で説明したい。すなわち鵜は色の明暗・強弱・その他もろもろで、もし鵜匠がいなかったら鵜たちは勝手次第でばらばらになってしまうが、それを上手にまとめるのが鵜匠である。すなわち、絵ではヴァルールが鵜匠の役目なのである。 さらにヴァルールについて説明すれば、富士山は赤い岩石の山であるが、遠く離れてみるほどに青色が増して青い山に見える。また、青空もそばまでいけたら無色であろう。すなわち、空気の層は遠いほど青色を増す。それが自然の理であるから、画面の中の物体は同一のものでも距離によって色が変わることを考慮しなくてはならない。 では、トーン(ton, 色調)とヴァルールの違いは何だろうか。トーンは、絵が白黒で描かれている場合(例えば日本の墨絵)はそれでいいが、油彩画(油絵やクレパス画)の場合はヴァルールでなくてはならない。 (2) 大阪で万国博覧会が開かれたとき、会場の中に美術館ができた。陳列作品は日本の有名画家の油彩画が多かったが、私はその最後の方にすばらしい絵を見つけた。切り割りの山と水が前景で、中景の野原に教会や民家が描かれた、あまり大きな絵ではないが、私はその絵に感動した。作者は英国のコンスターブル。名は兼ねてから知っていたが、絵を見るのは初めてだった。私の絵の進路はこれだと感激した。このとき、私の進むべき道は決まった。後年ロンドンのテムズ河畔のテート美術館でたくさんのターナー、コンスターブルの絵を見たが、どの風景画も空気の満ち満ちたものであった。この二人の画家は、いずれも完璧にヴァルールをマスターしている。 (3) 私は東京美術学校(現東京藝大)の南薫造氏(黒田清輝の弟子)とは親しくしていた。あるとき私は先生に、いかにしてヴァルールを画面の中に捉え表現することができるかを尋ねた。すると先生は実に正直な人で、自分もなかなかできないのだと言われた。それでは私はどうしたらいいのかと続けて尋ねると先生は次のように答えられた。「君が懸命に何百枚何千枚と描いていれば自然が教えてくれるよ」と。まさにその通りであった。南先生の晩年の絵を私が今見ると、トーンはあってもヴァルールはない。いかにヴァルールは至難な技法であるかが理解される。 (4) 最近上海で、女性のヌード展が大々的に開かれた。ヌードを描くには肉体の質感・重量感がなくてはならない。それには完璧なヴァルールを駆使しなくてはならない。このヌード展の目的は、油彩画の立派な真の指導者を捜すことにあるとのこと。日本も中国に負けぬよう、若手の立派な指導者を養成すべきだ。 (5) 大正時代や昭和の初め、日本にもマチス等の新しい絵画が入ってきて、これからの日本の洋画も新しくならなければならないとされた。そして今までの写実絵画は「アカデミック」だと誹謗された。その意味は、画面が平板で真の深みがないカラー写真のような絵だということである。新しい洋画もいいが、まずその前に完璧なヴァルールのある、真の写実絵画をマスターする必要があったのである。 (6) 富士の写真を写す写真家・岡田紅陽氏は次のように言った。「カラー写真は物の表面の色を写すだけで、自然が示す真の深みのある色は出ないから、私は富士を白黒で写すのだ。それなのに多くの絵描きたちがカラー写真を見て絵を描く(海外旅行で写してきたカラー写真を見てアトリエで描く)のには呆れた。」 (7) 宮廷の御物となっている藤島武二の蒙古高原(ゴビ沙漠の日の出)は日の出が完璧だ。しかし、この絵ができるまでには大変なエスキスを描いたと聞いている。 (8) 光風会の最高指導者だった寺内萬治郎と言えば日本最高のヌード画家であろうと思う。彼は晩年までヌード一筋だった。日本の一般のヌード画家は、素人好みの、きれいなセルロイドで作ったような、重量感も真の質感もないヌードを描いている。真実ヌードを見る目を大衆はもっていないからだ。寺内氏でさえ、晩年になって「ヌードを奥深く描きたい」と言って一筋に進んでいたが、たしかに立体が表現され、重量感もあったが、肝心な質感はない。女性ヌードに質感の美がなくては価値が半減する。晩年ヌード一筋に描いたルノアールでさえ、古典派のアングルのヌードに比べると、表現が淡く、軽すぎるのである。 (9) 私の作画姿勢: 自然がたまたま見せる情趣の美(それには日の出のような一瞬の美もある。)を、画布の上では調和の美に置き換えて表現する。画面の心情の美(岡潔氏の言葉)を破壊することなく、ときには、画面の美の構成のために実景にはないものを加えたり省略したりすることもある。 (1991年7月)
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エッセイ3: 坂本繁二郎先生と漱石の画論坂本繁二郎先生と漱石の画論 西 村 俊 郎 【坂本繁二郎先生と朝日新聞記者の芸術談義中より抜粋】 絵画で一番大切なものは何かとの問いに対して「自然の実感を捉える事」。 また一番好きな画家には「コロー」と答え、「セザンヌは個性がむき出しである。そしてその個性がむき出しであるという点が現代人に受けているが、コローは自然に謙虚で自然の本質ってものを一個人の個性(感性)に先行させているので普通人には表面平凡に見えるが実際はコローでなくては到底できない風景、人物になっている」。 夏目漱石『草枕』中の彼の画論の一説に、画を描く場合、先ず空気を表現しなくてはならないとし、その空気を表現する手段として色を主とするか、物を主とするか、または色と物との二者をもってするかは画家の各々の嗜好によって異なるとしている。またフランスの風物に見られる色彩が好ましいからといってそのまま日本における風景写生画にその色彩を使用するのは双方の風景の種々の距離を無視した全く馬鹿げた事だという。言葉は少々違うがそんな内容の意見を述べている。 即ち画布の上にあらわれた色彩というものは物の固有色(レンガの壁木の緑等)がそのものの置かれた環境、温度、陽の強さ、湿度、その他諸々の条件の中で微妙に変化した末に我々の網膜に映ずる摩訶不思議の混色なのであって、以上の理由から、どう考えてもフランスにおける木の緑、日本における木の緑、南仏の海の紺青、日本の海の紺青は絶対に同一ではないのである。同様に日本国内でも北海道の緑、九州の緑は異なり、晴れた日の、曇った日の、午前中の、午後の緑と、凡ての風物は千差万別の色、魅力を有しているので、ここにこそ自然を前にして写実絵画の道を求める尽きせぬ喜びの意義が存在する。 私がなぜ序言に坂本さんと漱石の画論を掲載したか。私は写実絵画の写生の在り方についてくどくどと述べたが、その根本はこの二人の画論に尽きる事なのである。坂本さんはその作品は幽玄、色彩は極度に純化され、一見眼に映ずる自然の景色とは違うように見えるが、つぶさに観察すると坂本さんが一番好きだというコローと全く同じように自然に謙虚で嘘がない。ただ坂本さんの心を通して純化された風景になり静物になっているのだ。 漱石は日本の誇る世界的文豪である事はご承知の通りである。私は現実の風景を前にした時、この二人の言葉をできる限り実行する以外に何の方法も知らないのである。ただ坂本さんのような才能を持ち合わせていないので、自分の目に映じただけの単なる写生を繰り返している。 明治、大正、昭和初期は画家が何の疑問も持たず自然の写生に嬉々として取り組んでいたのに、昭和の時代になって種々雑多なイズムと称するものが顕われ、絵画性という事が主張され、絵画は自然の模写でないという言葉を単純に解釈し、その実は画家が自然の秩序を無視した各自勝手気儘なスタイルを作り上げて、これこそ個性だ絵画だと主張するようになった。 実行は困難で現代のような傾向の公募展では会場効果にあまり関係のない私の説く写実は段々と顧みられなくなるだろう。しかし私は確信している。写実絵画の写生の根本はこれ以外にない事を。
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エッセイ4: 写実絵画における風景写生の在り方写実絵画における風景写生の在り方 西 村 俊 郎 大抵の場合、自然の風景がそのままの姿で絵画とはなり得ないが、時と場所によっては自然の風景に多少の手心を加える事によって絵画となり得る事がある。 その多少の手心というのは画家がその画家なりに自然の風景の内に感動すべきものを発見した場合、芸術的体験(永年の体験により移り変わる風景に形、色の調和、構造の確かさを与える事)により、その風景に多少の変更を加える事で決定的形にする事をいう。 その場合あくまで風景の実感が第一義であり、それを無視して単に色彩の調和や構成の面白味等を主体とする事は誤りである。即ち画家が感動した自然の実感を鑑賞者に伝える事を忘れている。その実感なくしては「絵が生きている」という讃美は絶対に与えられない。それは恰も豪華な衣裳を死人に装わせたようなもので、衣裳は決して生きてこない。 現在の公募展にある大方の風景画は見せるための一発勝負であり、風景のもっている生命を無視して自己の好みに合う風景に勝手に造り換えて死物にしている。経験を積んだ心ある鑑賞者なら絶対に魅了されない。画家が感動すべき実感を如実に表現できた場合、鑑賞者は永く見ていれば見るほど、その美しさは心に伝わってくるものである。そういう画は決して場当り的なものでない。印象派の巨匠やミレー、コローの風景には、そのような実感が脈々としているのに現代の画家達は己を目立たせる事に憂き身をやつして一番大切なものを失っている。 さて、その実感の表現であるが、先ず「とき」と「ところ」を考慮しなくてはならない。「とき」とは春夏秋冬の目まぐるしい変化の美であり、また朝夕等の時間による微妙な美しさの事だ。「ところ」とは湿度の高い日本の南画的風景と西洋の、例えば南フランスやイタリアの如きカラッとした紺碧の空の下にある風景の違いを認識する事である。 近頃は日本の風景なのか西欧の風景なのか得体のしれない風景画が巷に氾濫しているのに、人々が何らの奇異を感じないのは、カラー写真やカラーテレビの色に麻痺して微妙で複雑な自然の色彩の美しさに不感症になっているせいだ。以上の如く風景の写生において千差万別の、而も刻々と移り変わりゆく自然の止まるところを知らぬ美しさを表現しようと真剣に取り組んだなら、すっかりその美しさの虜となって、俗人の画家は、やれ様式だ、やれ個性だと勝手に風景を造り換える事など到底できるものでない。
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エッセイ5: 写実における日本の風土の表現と油彩写実における日本の風土の表現と油彩 西 村 俊 郎 西暦1200年代、中国より北宋画、南宋画が日本へ招来されたが、北宋画がかの国の風土が乾燥地帯のため遠景までも明らかに見えるので近景も遠景も厳しい線で描かれているから霧や霞の多い日本の風土と違っていたので日本人には親しみ難く、北宋画を極めた雪舟でさえ晩年は破墨山水の如き日本の風景を描いた。牧谿を宗とする南宋画はその点日本の風土にぴったりだったので大衆受けがし、竹田、木米、大雅等の立派な南画家を輩出した。 宋の次の代の明、清になると本家の中国でも単に形骸だけの南画となり衰微したが、日本の南画も日本の風土を写生したものでなく、中国のそれの模倣に過ぎなかったので忽ちに亡びてしまった。 徳川幕府が崩壊し、お抱え絵師だった狩野派もまた顧みられなくなり、代わりに薩長の武士達は文人画とは高僧や文人の描く高遠なものと決め込み大いに愛護したので、南画家達は盛んに描きまくったが、形式だけの山水画だから直ちに飽きられてしまった。今日でも水墨画は存在しているが、西欧の絵画のスケールの大きい色彩の豊富さを知った現代人には水墨画は単にデッサン程度に見え、満足させる事は不可能だ。 他方、明治の黒田、浅井等、洋画家の先人達は我も我もと西欧に勉強に出かけたが、西欧絵画のフォルムの確かさとスケールの大きい十六、七世紀の絵画、また瀟洒で絢爛たる十八世紀の絵画に圧倒され、そのメチエを模倣するだけでも精一杯であった。而も短期間の習得で日本に帰朝したので忽ちに元の日本的平面の絵画に戻ってしまった。小出楢重が日記の中で「西欧の画に比べて日本の絵画は紙と障子の如く薄っぺらで頼りないものだ。モネの海の画を見て海の広さを悟った」と日本の洋画の平面で調子の無いのを嘆いている。 また、第二陣の梅原、安井その他の人達が留学した頃はフランスでもエコール・ド・パリやキュービズム等、色々なイズムが乱立しておったので、日本人特有のせっかちで流行に遅れまいとする心理から修得に骨の折れる伝統の技法を勉強せず、フォーブ等の安易に入り込める技法に走った。戦後はさらに混乱し、抽象絵画が最も新しい絵画だと我も我もと抽象絵画を描き、公募展の壁面の大半は抽象絵画で占められた。 最近になって抽象画が廃れると昨日まで抽象画を描いていた画家達は今度は新具象だと、物の形さえわかれば具象だという理屈をつけて、薄っぺらで実感のない具象画を描きだした。真の具象絵画は自然を前にして写実に努力しても二、三十年の習練を必要とする。近頃はアメリカから入って来た写真よりもさらに緻密だという絵画が流行するに至っては絵画の逆行も甚だしい。 私は改めて、南宋画の日本の先人達が描いた、水墨画ながら雰囲気の満ちた日本の風土を、印象派以後の色彩の洗礼を受けた現代人の目で確かめ、迫真なメチエの可能な油彩の絵具で日本の風土を写生し、額縁の中の画には空気、空間が満ち溢れた、雰囲気のある実感を捉えたいと、無才ながら努力している次第です。
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エッセイ6: 私の絵画ノート(2)私の絵画ノート(2) 西 村 俊 郎 (1) 写実絵画とデザイン的絵画の違いについて: デザイン的絵画とはこの場合、自然の表皮を借りて、生の色の効果とか装飾的色彩の組み合わせで処理するとか、または反対に写真的緻密さの絵画の事を云って居る。そう云う画を真実の絵画だと思って居る一部の鑑賞家の鑑識眼が浅いから現代風の家具と同等に見て、それらとマッチして居れば事足りると思って居るが、真実の絵画は室内の装飾とは無関係で、永く見て居ても飽きず、心を楽しませ、心を洗い清めるものであるべきで、自然と二六時中眺めて居っても決して飽きる事のないのは人間自身が自然の中から生じて来たからこそである。だから技巧的には稚拙な画でも自然の実感が多少でも捉えてあるものは眺めて居ってもそう飽きが来ないが、工芸的巧みさだけで描かれたものは何度も座右に置いて時あるごとに眺めたいと云う気にはならない。 (2) 天才と凡人の違いについて: 凡人は如何に努力してみても見方そのものが常識的であり、天才は常識的見方を越脱して居ってもさらにそれをカバーする魅力を持って居るものだと思う。凡人は模倣性が強いが、天才は一見狂人の如く見える独自性を発揮する。そしてそれは已むに已まれぬ宿命的で絶対性のものである。しかし現今は如何にも天才を装った絵画の多い事か。 (3) ヴァルールの厳正: 例えば赤富士を例とする。その瞬間の最高の赤は赤の度合いを一から百までとする時、その中でのある絶対数の赤であり、決していい加減の度合いの赤ではない。(よく燃えて居る火と同じ強さの赤を塗ってある赤富士を描いて居る人があり、それがジャーナリズムに取り上げられたら何の批判もなく模倣する人が何人も出て来たが。)もしその赤の度合いが一つでも真実のものと違って居ったなら前景の度合いも空のヴァルールも全てが狂って来て、その存在する場所から飛び出して来る部分も出てくる。 (4) アカデミック絵画と真の写実絵画の違いについて: 芸術の上で欠点として云われているアカデミックとは、如何に各々の物が巧みに描かれて居っても真実の自然の実感がないものを云うのだと思う。決して官学派的なスタイルで描かれて居るからと決めるのは誤りだと私は思う。 (5) 今日の展覧会(主として公募展)の大方の写実絵画は絵具の色の美しさである。それはヴァルールの配慮がないから真実の空間がなく、ちょっと見ると効果的で、また面白味はあるが、熟視して居るうちに誤りが見えてくるものだ。真の写実絵画は物体のもって居る色の美しさであり、随って各々の物体の存在する場所に厳正であり、しかも単なる説明的色彩ではなく、絵画としての調和の上の色の美しさでなくてはならない。 (6) 裸婦と風景画についての寸感: 近頃は裸を描いて居る画がモダニズムか何かを狙って居るかは知らないが、画面の面白味だけに終始して、裸が生ける人間と云うよりマネキン人形を写生したようで、人体のもつ質や骨格がないが、やはり血が流れて皮膚や肉の美しさが実感として捉えてなくては魅力がない。また、風景も漱石の云う一番大切な空気の表現に努力して居るものが果たして何人居るだろうか。 (7) 近年フランスで何々賞を受けたと云う触れ込みの新人画家の日本での展覧会をよく見かけるが、それらの画は大概色彩等の洒落た調和の組み立てであり、一つのパターンの繰り返しだけで真底からの写実がないから、人物でも風景でも一枚見たら後は皆同じようで感心できない。 (8) 日本の洋画家の渡欧作品について: 主としてフランスあたりの街並み、それも建物だけを描いた画に見かける疑問は、建物を主体とし、それを色彩的、質感的だけに見て雰囲気を見ていないと云う事だ。それは恰も映画のセットの如く見える。絵画的効果を主とするために起きる一つの傾向である。生きものを剥製にしたと同じだ。形はあっても、それ自体は死体であり、生活する事はない。それと同様で、家と家との関連も生活も感じさせない。物質を如何に克明に描いても生活が出るとは限らない。ユトリロの家並みには雰囲気もあり、中に住む人の生活までがしみじみと感じられる。何故日本の画家の作品にそれがないかを、ユトリロの作品と並べて考えるべきだ。 (9) フランスの著名な美術批評家の警告: 「フランスの現代絵画の方向は本道から外れて三十年歩んでしまった。フランスから伝統を取り去ったら何が残るか」と。 それでもフランスには自国内に伝統を受け継いだお手本の画が無数にある。日本のように洋画の伝統は勿論、真のアカデミズムさえない国は後戻りどころか、もう一度一から勉強し直さなくてはならない。 (10) 写実絵画の写生でヴァルールに一分の誤りもなく、しかも非常に表現に困難なものの実感が如実に描かれた場合、目の前に真実の自然そのものが展開して来るように見えるものだ。その時の技巧は誰が見ても厳しいなあと感じさせる。先年日本で展示されたミレーの大作「羊飼いの少女」の夕陽の残光が走る地面の描写の巧みさ。また、モネの大作「フォンテンブローの森」では、森の中で働いて居る人達の声までが聞こえて来るようだ。凡ての写実の写生はこれ程の迫真でありたいものだ。 (11) 美術大学における絵画技法教育方針への疑問: 戦前の美術教育は、実技指導の先生にはオーソドックスな写実力のある実技者が指導の任に当たって居ったが、敗戦と同時に凡ての学校教育の在り方が改革され、美術教育でも従来の官学派的技法より個性のある芸術教育が重視された。先生には個性の強い在野の芸術家が選ばれた。しかし学生は本来未完成なので真の写実力も、また個性の何であるかも知らないのである。個性はわざわざ教えなくても、いい個性をもっていれば自ずと表れてくるものであるが、所謂オーソドックスと云われる技法は教えなくては会得できないものだ。将来その学生が写実ではない絵画の方向に進んでも、しっかりした写実の技法を身に付けて居る事は無駄にはならない。ピカソの写実力の抜群なのを見れば納得すると思う。動物の子が親に色々と生き方を教えられて一人前になる。もしそうでなかったら餓死したり、他の動物に襲われて生きられないだろう。学生時代は大いに写実力をたたき込む教育をすべきだ。実力のない理論は画に描いた餅の如しである。
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エッセイ7: 写実絵画のあり方に対する私考写実絵画のあり方に対する私考 西 村 俊 郎 近年、写実絵画でも個性とか様式とかが云々されて居るが、無論それも大事な要素には違いないのだが、ややもするとそれを強調するあまり自然の実感を破壊する恐れがある。また、そうした絵画は一見狙いが面白かったり新鮮で色彩効果があったりして初めは人目を引くが、永く見て居ると鑑賞者に疲労を与え、飽きさせるものだ。 私は愚直無才だから芸術などはできないが、せめて自然の実感だけは大切にしたいと努力して居る。例えば秋の夕暮れとか雪の朝の感じとか、四季折々や時間の移り変わりを素朴に捉えて画面にできるだけ真実に近い表現をしたい。額縁の中の画には空気が満ち満ちて居り、またゆっくりと歩き廻れる広い空間がある。もしその画の中に空気が感じられなければ、恰も月の世界の如くで、生物が住めるものではない。そう云う写実は真の写実とは云えないと思う。 印象派の画家達、モネ、ピサロ、マルケの画には風景に限らず、人物、静物画にも必ず自然の実感がある。また、印象派の太陽に対する理論をそれほど意義付けなかったコロー、ミレーの画には自然の呼吸が脈々として居る。それなのに、印象派の洗礼を受けた筈の現代の画家達の写実絵画にそうした実感が捉えられて居ないのは一体どうした事か。 即ちその実感を表現するには的確なヴァルール(色価)を基本としてデッサン、色彩の基礎的技術の訓練が要求され、而もそれを会得するには永い年期を要する並々ならぬ努力によらなくてはならない至難な仕事である。而もその実感が如実に表れてこそ「画が生きている」とも云われる。だが、その時点でも未だ芸術と云われるより技術的段階なのである。実に写実絵画が芸術であるためには新鮮味のある色彩の調和や明暗、構成が非凡でなくてはならない。 【空気・空間の表現手段について】 先ず絵画を普通に云う写実絵画、半抽象半具象、抽象絵画の三つに大別しよう。後者の二つは空気の存在は必要ないから色による対比やムーブマンに心を用いるといいが、実感を第一とする写実絵画を描くとなると現実の風景を前にした時、「眼前に展開する何千何万と云う森羅万象がその各々の存在する場所の空気の層に包まれて居ると云う事」を先ず認識しなくてはならない。 (画家の自筆による図) 中景や遠景の物体の色は如何なる場合と云えども原色は存在せず、二次色(*註を参照)となるが、些細に観察するとその二次色は濁った色でなく、それぞれ輝きを持って居る。絵具では遠景の複雑な色を出すために数色の色を混ぜ合わすと兎に角濁ってしまうので、印象派の画家のやったような、あまりパレットの上で混ぜ合わさずに色片の分解による方法が適切である。 *註: この場合に云う二次色とは、実際の風景の中景、遠景の物体が見せる色で、言葉で云い尽くせない複雑な混色をさす。よくアマチュアの人が風景等を描いて平面に見えると云うのは同じ強さの色が近景にも遠景にも塗ってあるからだ。 曇り日ならまだしも、太陽が燦々と輝いている場合、光を表現するには物体の色を暖色、寒色の錯綜によって表さなくてはならないから益々表現方法は複雑である。もし今描かんとする目前の風景を寸分の違いもなく瞬時に写し終わらせる者がいたならば空気も自ずと表現できるが、実際の場合、描いて居る間にも現実の風景は色彩が時間とともに刻々と変化してゆき、寸分違わずと云う事は到底不可能な事である。私が先に述べた如く、空気・空間を如実に表現するには並々ならぬ努力を要すると云ったのはこの事である。 ただ基礎的方法の一端として云える事は、描くべき風景を前にした時、画家の目から同一距離にある物体をいくつかのマッスに纏め、「正当なヴァルール」で「しかるべき単純化」をしていく。この方法で描かれた画は実際の風景よりも単純化されているだけに絵画効果上得策であり、自然の実感も損なわない。マルケの画はそう云う方法を用いて居る。日本でも大正期の小出楢重の晩年の作品には「単純化された実感」が捉えられている。 【似て非なるもの】 近景、中景を同じ程度の調子で描きながら遠景にある山だけを青っぽく如何にも空気のある如く見せて居る画をよく見かけるが、そんな幼稚な技法で空気の表現はできるものではない。もしその程度の技巧の人に岩場の重なり合っただけの風景を描かせたなら、空気どころか遠近(深さ)さえも出せないだろう。 近頃流行の写実的細密描写の画は現実の風景を写生したものではなくカラー写真によって描かれているが、素人目にはそれが自然そっくりに見えるらしく、非常な名画のように思う人がいるかも知れないが、私が述べて居る空気の表現方法とは全然次元が異なって居る。先年日本で展示された米人ワイエスなる画家の画はそう云う種類のものである。しかも東京では近代美術館、京都では国立博物館に堂々と展示されるとは日本人が真の写実を見る目がないと云う事を暴露したものである。 また、優秀なカラー写真なら空気・空間が正確に出ると思うかも知れないが、以下の理由からこれも絶対に不可能である。何故ならば空気の完全なる表現には印象派の巨匠達のやったように物体面の色を出すには色彩の分解法によらなければならない。随って単に目に見えるものではなく頭脳を通してのみ作られる色であるから、頭脳を持たないレンズの如きは今後如何に優秀なものができようとも空気の表現は不可能である。ただ、近頃はポスターの色、カラー写真の色、色彩映画の色、カラーテレビ等、派手で透明なインクの色が氾濫し、絵画の色までが原色化して来て、真実の自然のもって居る色も同じように思って居る人が多いようであるから、そう云う人達の目から見ればカラー写真の中に空気が存在すると信じ込むのも無理からぬ事であろう。 また、他の人の描いた写実の写生画に空気のあるなしが看破できるのは、それを表現し得るほんの一握りの者だけであり、一般の鑑賞者は勿論、空気を真実に描き得ない大方の画家達には感知できぬものである。空気も真の空間もない風景画が巷に氾濫して居るのは、残念ながら大衆に真の写実絵画を知る目が養われて居ないからである。アンリ・マルタンの画(西洋美術館に展示)には一見空気と太陽が適確に表現してあるように見えるが、陰の色彩片が一様に明る過ぎると思う。実際の風景では陰の色彩は通常マルタンの描いた陰の色より暗いものだ。 また、セザンヌが陰の調子を色で置き換えたとの理論も日本の画家達は単純に鵜呑みにして居り、陰の色のヴァルールの正確さを誤って居るため画面が平面になる。マチスが浮世絵等の影響で画面の平面化を試みたと云うのも、日本人の思って居る単純な平面化とは異なっている。リュクサンブール美術館にある彼の最盛期に描いたオダリスクを見れば充分に空間を感じさせる。数年前に東京で展示されたゴッホ、セザンヌの画は画集等で見るよりは青っぽい感じがする。常人時代のゴッホの画は「炎の人」と云うイメージと違って青っぽい静かなものが多い。やはりそれは空気を表現して居るせいだろう。印象派の流れなのである。
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