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中村正義の美術館

  • 執筆者の写真: 西村 正
    西村 正
  • 2021年12月1日
  • 読了時間: 3分

更新日:2021年12月5日

 

「中村正義の美術館」が30年ほど前に新聞で紹介されて以来、私はいつか訪ねてみたいと思いながらも、ずっとその機会を得られずにいた。それは、新聞記事に紹介された「顔の連作」という言葉だけは記憶に残っていたものの、当時の私は中村正義という画家について全く知らなかったからである。だが、このウェブギャラリーをオープンしてから美術全般への関心が深まって美術館や画廊を巡るうち、意外なところで「出会い」が訪れた。それは友人に誘われて行った梅野亮(まこと)展においてだった。そこで私は中村正義が日本画家であることを初めて知ったのである。

 いま私は「個人美術館」というものに非常に関心をもっている。個人美術館には個人や財団によって運営されているものと、何らかの経緯を経て公立になっているものがあるが、私が関心があるのは前者なので、一層いま訪れてみたくなったのである。だが調べてみるとこの美術館は現在「一時休館中」なのであった。しかし、図録等の購入についてはインターネットで対応してくれることが判ったので、さっそく図録を送ってもらって、私は初めて中村正義作品を目にすることができたのである。そして私が即座に連想したのは、同じく日本画家として名高い川端龍子の存在であった。

【「戦」はポストカードを接写、「陽」と「うしろに立っている私」は図録を接写しました。】


中村正義「戦」1964年


中村正義「陽」1969年








中村正義

「うしろに立っている私」

1974年









 中村正義(1924—1977)は愛知県豊橋市に生まれ、1961年に37歳で神奈川県川崎市細山(現在の「中村正義の美術館」所在地)に転居している。

 図録を一通り見て私が思ったのは、この人は「日本画家」という枠に収まり切れない人であるということ、そして、その強烈な個性と活動範囲の広さである。図録では「1風景」「2花」「3顔」「4舞妓」「5水墨・仏画」「6その他」という分類がなされているが、それぞれの中に多彩なバリエーションがある。実はこの画家を紹介するにあたって私がここで選んだ3点が果たして適切な選択だったのか、ずっと迷い続けているのだが、ここは「私の好み」ということでお許しいただきたい。作品の全体像を見たいかたは「中村正義の美術館」ホームページから図録をお求めになることをお薦めします。


 同美術館では『ドキュメント 時代と刺し違えた画家 中村正義の生涯』という本も購入することができるが、この本の著者・笹木繁男さんは以前に私が入手した『藤田嗣治 –その実像と時代-- 』(上巻、下巻)の著者でもある。同書によって私は叔父・西村俊郎の戦時中の展覧会出品確認をしてブログ記事で紹介したことがあったが、この『…中村正義の生涯』も同様な編集方針による克明な記録である。

 今回は、私が中村正義という画家に「出会えた」ことを報告するだけの内容になってしまったが、私はしばらく、この画家の魅力に浸っていたいと思っている。「中村正義の美術館」の再開を切に願う次第である。 (2021.12.1)



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