岩本昭『わたし流美術館』を読む
- 西村 正
- 2022年5月10日
- 読了時間: 4分


同書の表紙カバーと、
22編のエッセイが並ぶ目次
最近、家を建て替える準備をしている友人からかなりの量の本や絵画作品を預かった。彼は私の高校時代の先輩で、美術に関する相談ができるほとんど唯一の存在である。この機会に読むことを薦められた本も多い。その中の一冊に、岩本昭著『わたし流美術館』がある。岩本昭という人は1928(昭和3)年生まれで、一流企業に勤めながら絵画コレクターを続けてきた人である。この本は1993年の発行で、絵画蒐集を巡る22編のエッセイを集めたものである。文章を得意とする人と見えて人を飽きさせることなく、読んでいて教えられることも多い。例えば次のような言葉----「収集は一種の病気のようなものである。あるいは狂気のようなものと言った方がより適切であるのかもしれない」「手元に置いて一緒に生活したい」など。----これらはまさに、「絵を買うということ」「その絵を毎日眺めるということ」の本質を表していると私は思う。また、ある画商を評して、「生半可な知識や難しいことは言わないが、的確に絵を本能的にとらえる目をもっていて…」と述べているのも、この人の経験がそう言わせるのだろうと感じる。どのエッセイも読ませるものがあるが、ここでは巻頭を飾る一遍について取り上げてみたい。

高橋由一『墨水桜花図』
(油彩、キャンバス、P25号大)
※同書より接写。
エッセイのタイトルは「墨水、桜花輝耀なり 高橋由一の明治初期洋画」。---世田谷のボロ市で買った古ぼけた油絵が、実は高橋由一の真作であったという話である。
私は東京・世田谷で生まれ育ったので幼い頃からボロ市を知っていた。市が開かれるのは年末と年始で曜日に関係なく十五日と決まっていた。名前の由来は古着を売っていたことから来ているようだが、農具や臼、植木などの露店が上町の通りの両側に所狭しと連なっていた。その中に古道具や骨董、絵画などを並べた店があったことも覚えていたので、このエッセイを読んだとき思わず昔の記憶が蘇ってきた。さらに「光風会のM画伯もボロ市の愛好者である」という記述まである。このM氏は間違いなく叔父のアトリエによくいらしていた方である。このM氏の件は、彼が過去にボロ市で梅原龍三郎やモーリス・アスランの絵を入手したことを紹介して掘り出し物の可能性を示唆するために使われているのだが、果たして著者はこのボロ市で高橋由一らしき油絵と出会うのである。ただしサインもなく、売り手ですら由一だとは思っていないから値段もそこそこだったらしい。しかし入手後、著者はその人脈をフルに活かして、これが由一の作品であることを確信するのである。その過程には、以前にこのブログでも触れた歌田眞介氏も登場する。このエッセイの最後は「絵は、高橋由一没後百年に当たる一九九四年秋、鎌倉の神奈川県立近代美術館で公開されることになっている」という一文で終わっている。寄託という形であったようだ。
ところが、この絵がその後どうなったのか知りたくてインターネットで検索したところ、府中市美術館が買い取ったことが判った。その値段は何と一億円! しかも、その買い取りの決定に異議を唱える人もいたらしく、激しい言葉で書かれた批判がまだインターネット上に残っていた。先の友人にそのことを確かめると、確かな話であるという。しばしば触れてきたように私自身は高橋由一を高く評価するものだが、金銭が絡むと様々な意見が飛び出すのはやむを得ないこととは思う。しかし写実具象に対する罵詈雑言はいかがなものか。
話は変わるが、最近、フランスにいる友人がゴッホを巡る小説を書いたというので読ませてもらった。それは彼のゴッホ愛に溢れた作品であった。よく知られているように、ゴッホは生前にたった一枚しか作品が売れなかったという。そのゴッホが今自分の絵が一体いくらで取引されているか知ったら、果たして喜ぶであろうか?
再び高橋由一に戻るが、絵画作品は、その良さを理解して「一緒に暮らして眺めていたい」と思う人に無理のない値段で買われてこそ意味があるのではないかと、またも考えさせられた話であった。(2022.5.10)
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