石井幸孝著 『国鉄』(中公新書)を読む=「北海道新幹線」で考えたこと(その2)
- 西村 正
- 2022年9月26日
- 読了時間: 3分

ディーゼル車輛設計の専門家にして国鉄分割民営化後にJR九州の初代社長も務めた著者による、日本の鉄道150年を振り返り、さらに将来の鉄道の在り方も提案する意欲作(本年8月25日発行)。
当ブログの4月の記事で私は、北海道新幹線の札幌延伸に伴う「函館本線長万部~小樽間の廃止決定」ニュースに触れて思ったことを書いたが、その後何と「新函館北斗~長万部間も廃止が検討されている」というニュースを見て、今度は驚きを通り越してすっかり心を痛めてしまった。その矢先にこの本に出会ったのである。鉄道省時代~国鉄時代~JR時代と歴史を追って、技術のみならず経営の視点からも多くの問題点を明らかにしてくれる本書から得られることは実に多い。ここでは主に技術についてだが、私が「そうだったのか!」と気づかされたテーマをいくつか取り上げてみたい。
「遠くまで続いている鉄道」というものを私が意識し始めたのは中一だった1965年頃からである。林間学校等の行事で茶色の客車や気動車急行に初めて乗ったことを鮮明に覚えているが、それ以外で当時の国鉄に乗ったのは、このブログの「叔父の思い出」のいくつかに書いたように、叔父と一緒に行った旅行のときであった。この本に載っている「蒸気機関車・電気機関車・ディーゼル機関車の年度末輌数の推移」という折れ線グラフを見ると、1965年時点では蒸気機関車3000輌以上、電気機関車1500輌、ディーゼル機関車500輌なのに対して、1975年になると蒸気はほぼゼロ、電気が約2000輌、ディーゼル2200輌程度とすっかり入れ替わっている。この年は蒸気機関車全廃目標の年なのであった。ただ、これは機関車だけの話であって、それ以前から旅客輸送の主体は機関車が引っ張る客車ではなく、動力分散方式の電車やディーゼル特急・急行のような車輛に移っていったのだという。私の記憶にある鉄道風景は、この説明によって初めて納得のいくものになった。しかも東海道新幹線はすでに1964年には開通していたのである。本書にはこのような話が克明に記されていて資料として貴重かつ魅力的なのだが、ちょっと煩雑な話でもあるので、話題を「北海道新幹線の並行在来線問題」に戻そう。 先に触れた新函館北斗~長万部間の線路については「貨物線として残す」という案が検討され始めていることがネットや新聞で報道されるようになったが、この本の著者・石井幸孝(ヨシタカ)氏は鉄道による貨物輸送の重要性を強調する。「新幹線+ミニ新幹線」を貨物輸送に活用できるというのだ。北海道について言えば、フル規格新幹線を札幌からさらに旭川まで延伸して、その先を①稚内まで、②網走まで、他に③札幌~千歳~帯広~釧路~根室、さらに④釧路~網走の4路線を「北方4線」と名付けて標準軌のミニ新幹線として整備し、国土防衛上の観点からも国が責任を持って維持していくべきだと主張する。これは平行在来線問題の解決とは別の話とも言えようが、将来を見据えて一考すべきアイデアだと思う。しかし当面の課題としては、海峡線に繋がる新函館北斗~長万部間の線路はせめて貨物輸送優先としてでも残してほしい。特に日本の食料自給率改善の可能性を北海道に見るならば、この本の著者が強調するように、鉄道による高速大量貨物輸送こそがそれを支えてくれるのではないか。また非常時の代替路線として在来線の線路を極力維持していくことも北海道のような地域には必要ではないか。経験豊富な専門家が書いたものを読んで私も同感であり、自分の考えが的外れではないと思えるようになったのである。 (2022.9.26)
Comments